私が「自分を責める」をやめられなかったとき(3)

本当は傷ついているのに、その自分を自分でさらに攻撃してしまう。

そんな私の激しい「自分責め」は、何年経ってもいっこうに静まる気配がなく

むしろ時間が経つごとに、どんどん悲惨なものになっていきました。

 

私がどんな状態であれ、その「私」そのものを攻撃することが

頭の中で自動思考化されているので、たとえいかなる状態であっても、

どんな行動を取っても、決して認められることがありません。

 

「ここでAの選択をした私はダメ」

「本当はBの選択をすればよかった」

「じゃあ次はこうしよう」

 

その場ではそうやって反省し、発想を転換して次につなげようと思うのですが

いざBの選択をとると、

 

「Bの選択をするなんておかしかったんじゃないか」

「やっぱりAにすべきだったんじゃないか」

「だから私はダメなんだ」

・・・というように、結局同じことを繰り返して自分を責めてしまうのです。

 

 

「私」を無条件に否定してしまう。

「私」が「私」でいることを、ただひたすら責め続けてしまう。

その根本的な原因には、実は幼少期の環境や育ち方が大きく関わっていました。

 

 

いつも怒られていた。

何かすると、すぐ大きな声で怒鳴られた。

常に監視され、少しでも間違ったり失敗したりすると容赦なく否定された。

その叱られ方は、行動を正そうとするものではなく、人格否定そのものだった。

自分の家にいるのに、気をゆるめることが一切できなかった。

 

 

私を否定し続ける声は、かつて朝から晩まで毎日毎日、絶え間なく降りかかってきていた

親からの怒鳴り声に他ならなかったのです。

あまりにも長い時間、自分に浴びせかけられてきていたものだから

「私は常に否定されるものだ」

「私は常に存在を許されないものだ」

「私は絶対に自由であることを認められない」といった

強い思い込みができあがってしまい、いつの間にか自分の中にそれがとりこまれて

一人になってからも、止めることができなくなっていました。

 

何よりも厄介だったのは、

この事実にようやく気づけてからも、それらの自分責めを止められるようになるまでに

何年もの長い時間がかかったことでした。

 

(4)に続きます。